FIREすればストレスフリーになると思っていませんか?

FIRE・早期退職

はじめに

昨日、まだ会社で消耗してるの?というちょっと煽り気味の記事を書かせていただきました。今回は、FIREしてもストレスはなくならないという話を書きたいと思います。

「なにこいつ矛盾したこと言ってるんだ?」と思われるかもしれません。一見、2つの記事は矛盾しているように思えますが、そうではありません。

FIREすることで消耗しなくはなりますが、依然としてストレスからは解放されないのです。

人がFIREを目指す理由

会社での仕事や人間関係でのストレスから解放されるために、FIREを目指す方は多いと思います。何となく「FIREすればストレスフリーで、楽しい毎日になるに違いない」と思っている方は少なくないのではないでしょうか?

しかし、FIREすれば悩みやストレスから解放されるというのは本当でしょうか?

私の場合

私の退職日は5月31日ですが、40日間の有休消化をしましたので、会社に出社しなくなってから3か月以上経過しています。この3か月の間、毎日私がストレスフリーで、楽しい毎日を過ごしていたかと言われれば、答えは「NO」です。

客観的に考えると、今の状態は、「働かなくてもやっていける程度の資産や不労所得があり、自由に時間が使える」という、これ以上の幸せはないのではないかという状況です。「不労所得で自由に生活する」というのは、私がFIREした目的の一つだったわけで、その目的は達成されています。

しかし、「心から楽しいと思える時間」を毎日過ごせているわけではないのは、なぜでしょうか?これ以上恵まれた状況など、そうそうあるはずもないのに、この状況に幸せを感じられないのだとしたら、私はいったいどうなれば幸せを感じるのでしょうか?そう考えると、なんだか怖い気持ちになります。

私が心から楽しめていない要因

私が今一つ楽しめていない要因の一つは、「やりたいことはいろいろあるのに、それをやらず、結局同じような毎日を漫然と過ごしてしまっている」からだと思います。

毎日朝起きて、朝食を食べ、ネットサーフィンしたり、散歩したりしてから夕食を食べ、ぐだぐだしてから寝るだけで、一日があっという間に終わってしまいます。忙しいはずはないのですが、気づくと夜になっているという感じです。

有限である時間を大切にするためにFIREしたのに、漠然と毎日を過ごしてしまい、時間を無駄にしているように感じてしまうのです。

人の悩みはつきることがない?

米国の心理学者である「アブラハム・マズロー」が唱える「欲求五段階説」というものがあります。人間の欲求を、下層から上層への順に、「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」の5階層に分け、それぞれの欲求は、下の階層にある欲求の上に成り立っているとされます。

※画像は@DIMEより。

例えば、戦争中のウクライナで生活している方々は、「食事や睡眠をしっかり確保したい」という「生理的欲求」や、「安全な場所で生活したい」という「安全欲求」を抱えているかもしれません。戦争が終われば、これらの欲求は満たされるでしょう。しかし今度は「他人から愛されたい」という「社会的欲求」や、「他人に認められたい」という「承認欲求」を感じるようになるはずです。

「人は置かれている状況に応じて、欲求の内容は異なる」ということが言えると思いますが、このことは視点を変えてみると、「結局人はどんなに恵まれた状況になっても、その状況に応じた悩みを抱えるものである」というようにも解釈できるのではないでしょうか?アラブの石油王だって、悩んでいるはずです。

つまり、私も含めて、すべての人にとって悩みがなくなることはないと思います。「やりたいことがやれていない」という悩みは、やりたいことをやれば解決できますが、その上できっと新たな悩みが出てくるのです。

おわりに

以上のように考えると、私が幸せなはずなのに、毎日楽しめていないのは、正常なことであるのに気づきました。

私はFIREする前は、FIRE後にはストレスと無縁の生活ができることを、心のどこかで信じていたのですが、そんなことはありませんでした

これからFIREする方も、あたかも、FIREが万能で無敵なものであるというような幻想は、抱かない方がよいと思います。

ただし、「それではFIREしたことを後悔しているのか?」と問われれば、その答えは「NO」です。FIREして本当に良かったと思いますし、時間をお金で買ってでも、FIREを目指す価値はあると確信しています。

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