「自分の常識=他人の常識」ではありません

日常生活

はじめに

常日頃自分が「当たり前」だと思っていることは、必ずしも他人にとって「当たり前」であるとは限りません

そのことを痛感するできごとがありましたので、今回はそのことについて書いてみたいと思います。

公園でのできごと

先日いつものように、散歩の途中にある公園でボーっとしていました。近くのテーブルには、小さな子供を連れた母親のグループがいました。そのグループは大声でしゃべったりして、かなり騒がしくしていましたので、「何なんだろう。迷惑だな」と思っていました。

そのグループが使っていたテーブルは、公園の中でも良い場所にあり、私もよく使っているテーブルです。しばらくしてそのグループがいなくなったので、そのテーブルに移動してみて驚きました

空き缶、大量の汚れたティッシュペーパー、コンビニの袋、その他たくさんのゴミが、ベンチの下に散乱していたのです。

公園のベンチに平気でゴミを置いて帰る、その感覚が私には全く理解できません。しかも、集団で来てそのようなことをしていくということは、集団の誰一人としてゴミを散らかして帰ることを注意することなく、全員がそのような感覚の持ち主だったということです。「類は友を呼ぶ」ということでしょうか。

おわりに

いったいどのような人生を歩んでくると、平気で町中にゴミを捨てられるようになるのでしょうか?世の中では理解しがたい事件などが起こりますが、本件に限らず、自分が常識だと思っていることが、他人の常識であるとは限りません

こんなことを書いている私についても、ひょっとすると、当たり前だと思ってやっていることが、他人から見たら奇異に見えることがあるかもしれません。これまで私が書いてきたブログ記事の内容についても、読者の方からすると「こいつ何言ってるんだろう」と思われたことがあったかもしれません。

今回のできごとを通じて、折にふれて、自分がおかしな言動をしていないか、客観的に振り返ってみることも大切だと、あらためて思いました。

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