はじめに
私は25年以上勤務した会社を5月末に退職しました。特に退職前の10年くらいの間、会社で違和感を感じていたことがありますので、今回はこのことについて書いてみたいと思います。
会社員は全員が出世したいと思っているのか?
会社員には各年度ごとに「目標」があり、年度の終わりには、その「目標」がどの程度達成できたかで人事評価がなされます。
「目標」を設定する際には上司との面談があり、上司からは「あなたはいついつまでに、○○をやってもらいたい。○○をやってもらわないと、人事評価が悪くなる」といった趣旨の話があります。
そういった面談の際、私はいつも違和感を感じていました。それは、「私は人事評価をよくしたいとは、全く思っていません」ということです。
要するに、会社側はあたかも、私がよい人事評価を得たいと思っているとの前提で話をしているのですが、私はそのようなことを全く考えていなかったということです。話がかみ合っていないのです。
私からすれば、「人事評価などどうなってもよいので、好きなようにやらせていただきます」といいたいところですが、もちろんそのようなことを口に出しても、デメリットしかないのでいいませんでした。
最近、若い人の中には、「会社での出世よりも、プライベートの充実を重視する」という人が少なくないそうです。そういった人は、プライベートを犠牲にしてまでも、よい評価を得たいとは思っていないのだと思います。
若い人に限らず、FIREを目指して日々不労所得の拡大に努めている方には、同様の傾向があると思います。私も、保有資産や不労所得が増えれば増えるほど、仕事に対するモチベーションの低下を感じていました。
要するに、会社からの評価は、会社に経済面その他で依存していればいるほど、重要になるのです。経済的な面等で、会社に依存していなければ、会社からの評価を気にする必要がないはずです。
出世することは「鎖自慢」でしかない
私が勤務していた会社の社員をみると、私のような考えを持っている人はほとんどいないように思います。ほとんどの社員が「目標」に向かって、日々精神をすり減らしながら、仕事に励んでいます。
私はそういった人に対して、「その先に何があるんですか?」と問いたいです。
会社でいくら出世したところで、65歳くらいで退職してしまえば、その後の人生に会社での肩書など何の意味も持っていません。会社員時代に積み上げた評価など、退職してしまえば、全てリセットされるのです。リセットされることが分かっていて、人生を犠牲にし、時間を無駄にすることが賢明な選択だとは思えません。
「その肩書とやらは、あなたの人生をかけてまで追い求める価値のあるものなんですか?」と問いたいです。
以前のブログ記事に書いたのですが、6月の定時総会で、私の上にいた常務が退任しました。退任してしまえば「ただの人」です。人間として敬意を持てる人であれば、退任しても周りから人は離れないですが、そうでなければ、肩書がなくなった途端、周りから蜘蛛の子を散らすように人がいなくなるはずです。それまでご機嫌取りしていた部下ほど、あっさり離れていくと思います。
私は会社員時代は、「労働者」を一刻も早く引退して、「資本家」になりたいと思っていました。ここでいう「資本家」とは、「労働収入ではなく、資産収入で生活する人」のことを意味しています。
「資本家」を目指すのであれば、最も重要なことは、「会社で出世すること」ではなく、「保有資産や不労所得を増大させること」です。肩書などどうでもいいのです。
私には、会社での評価ばかり気にしている大半の会社員は、「鎖自慢」をしているようにしか思えません。
出世することで、より見栄えのよい「鎖」が手に入っても、しょせん労働者階級という奴隷から抜け出せていないことに気付いていないのです。
おわりに
多くの会社員は目先のことしか考えておらず、本質が見えていないのだと思います。あるいは、見えているけれども、見えていないふりをしているのかもしれません。
「何が自分にとって幸せなことなのか?」「死ぬときにどういう気持ちでいたいか?」を、今一度考えてみるべきだと思います。
ただし、出世した方が、給料も増え、保有資産が増やしやすいというのも事実です。私も、入社15年目くらいまでは、仕事を頑張っていました。私はなにも「新入社員時代から仕事を頑張るな」といいたいわけではありません。
とはいえ、最近若者を中心に、出世を望まない人が増えているというのは、私には至極当然のことのように思えます。
以上、出世レースから脱落してFIREした、元負け犬社員の遠吠えでした。