FIREすることは「勤労の義務」違反なのか?

FIRE・早期退職

はじめに

自民党の裏金問題の報道を見ていると、たびたび「納税は国民の義務である。裏金議員が納税しないのは脱税だ」という主張を耳にします。この主張を聞いて、「そういえば、憲法に規定されている国民の三大義務というものを小学生の頃に習った記憶があるな」と思い出しました。

「国民の三大義務」が何だったか自体があやふやだったので、あらためて調べてみたところ、以下の通りでした。

【国民の三大義務】

「教育の義務」(26条2項):
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

「勤労の義務」(27条1項):
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

「納税の義務」(30条):
国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

ここでふと、「FIREすることは、ひょっとして「勤労の義務」に違反しているのではないか?」という疑問が生じました。

なお、私は憲法については素人であり、以下で書く内容は全て私の個人的な意見です。憲法の解釈として間違っている可能性がありますので、その点はご留意ください。

「勤労の義務」とは何か?

「勤労の義務」とは、いったい何を意味しているのでしょうか?文字通り解釈すれば、「国民は働かなければいけない」ということになると思います。であるとすれば、無職である私は働いておらず、「国民の義務」を果たしていないことになります。

そもそも、FIRE生活の基本となる「不労所得」は、「労働せずに得る所得」のことであり、「勤労の義務」とは相いれないもののように思います。

「自分は国民の義務を果たしていないのかもしれない。これはまずいかもしれないな」とちょっと思いました。しかし、働いていないからといって、日本では罰せられるわけではありません。例えば専業主婦の方や、仕事を引退した高齢者の方も働いていませんが、そのことを批判されたり、罰せられたりはしていません

「納税の義務」は、果たさなければ罰せられますが、「勤労の義務」に違反しても罰せられないのです。「義務」というからには、「働くことが推奨される」といった生易しいものではなく、「働かなければならない」という意味のはずですが、国から強制されるといった性格のものではないようです。

憲法には以下の規定もあります。

【憲法25条】

1項:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2項:国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

これも一般的に知られている条文ですが、厚労省のホームページによれば、「憲法25条」は「国民には生存権があり、国家には生活保障の義務がある」という意味であるとされています。

つまり、「国民の三大義務を果たさない人には、国家は生活保障の義務を負いません」という意味に解釈することもできるのではないでしょうか?国民は「三大義務」を果たして初めて、国家から生活保障が受けられるという解釈です。

「働ける健康状態であり、仕事があるにもかかわらず、働こうとしない人」(=FIRE民)に対しては、国は生活を保障する責任を負わないということです。

ただ、FIRE民も「納税の義務」は果たしています。そもそも「納税の義務」さえ果たしていれば、「勤労の義務」は不要なのではないかとの意見もあると思います。

おわりに

最近は国が国民に対して、「自助努力」を促す場面が増えてきたように思います。少子高齢化が進展し、国民年金等の財源が不足する中で、NISAやiDeCoといった制度が拡充されてきたのも、その例だと思います。

FIRE民は自ら積極的に資産運用を行い、納税もしていますが、FIRE民ばかりになってしまうと、税収が激減してしまうのも事実です。最近話題になっている金融所得で社会保険料を増やす検討」や、「金融資産に応じた負担増の議論」は、国がFIRE民に対して罰則を科していこうという姿勢の表れかもしれません。

ひょっとすると国は、「FIRE民は「勤労の義務」を果たしていないのだから、せめて納税負担を重くしてやろう」とか考えているのかもしれません。「勤労の義務」に違反していることの「罰則」として課税するということです。

FIREすることが「勤労の義務」に違反しているのか否かは、解釈によって意見が分かれると思いますが、今後ますますFIRE民が生きづらい世の中になっていきそうな予感がしてなりません。

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